ボン リエさんってこんな人
和歌山市出身。高校卒業後、短大入学と同時に大阪へ。
昔から海外移住への憧れがあり、2年半オーストラリアへ長期滞在。のちに中華系のインドネシア人と国際結婚し、インドネシアへ6年移住。
現在は日本に拠点を置き、日本語教師を目指し勉強中。KEGキャリアアカデミーで外国人材紹介や支援業務を行っていた経験もあり、今後もASEANと関わる業務に携わりたい。
vol.2では、国際結婚や海外移住を経て、日本語講師を目指すきっかけをお届けします。
海外に興味がある!移住したい!仕事をしてみたい!だけど、一歩踏み出す勇気が出ない……。
そんな方にとって、ボンさんの生き方や考え方がそっと背中を押してくれるインタビューになっています。ぜひ読んでみてください。(vol.1はこちら)
オーストラリアで国際結婚、のちにインドネシア移住
ボンさんは、日本に戻るつもりはなく海外に出られたとか……。
インドネシアと強く繋がるきっかけは、何があったのでしょうか?
ジャワ島ボロブドゥール遺跡前で写した姉妹
オーストラリアに住んでいる頃、華系のインドネシア人と結婚しました。
日本で子育てをしていたんですが、2人目を妊娠した時に、家族でインドネシア移住することに決めたんです。
華系とは……?
当時の主人や両親は華人なんです。
ですが、生まれも育ちもインドネシア。なので見た目も、わたし達とあまり変わりません!
不思議な感覚です。
インドネシアに移住し、長い期間過ごされたのだとか?
永住するつもりだったので、和歌山のものは全て引き払いインドネシアに行き、約6年住んでいましたよ。
インドネシアはとても広いそうですが、どの街に?
ジャカルタです。
大都会で、高層マンションやビルがたくさんある街でしたね。ただとても空気が悪かったです!
インドネシアに移住して、大変だったことはありますか?
んー、やっぱりVISAですね。
アジアだけじゃなく、色々な国でVISA発行は必要なんですが、インドネシアは特に取得が難しく、厳しいなぁと感じました。
核家族から大家族の中で過ごしたインドネシア生活
オーストラリアで長期滞在の経験もあるため、環境の変化にも慣れているのかなと思うのですが……。
インドネシア生活は、どのように感じましたか?
早く移住したかったし、行くことへの不安などはなかったんですが、実は2年ほどノイローゼになっていました。
日本の核家族からインドネシアの大家族になり、常に人に囲まれていたのでしんどいなと思う期間がありました。
インドネシアは両親だけでなく、兄弟家族も同居するそうですね!
そうなんです。実家が自営業だったので、スタッフやお手伝いさんも同居していました。
そこから吹っ切れるきっかけは?
やっぱり、現地での日本人の友人や周りの人に恵まれていたことが大きいですね。
常に誰かが助けてくれるので、自然と悩みを吹っ切ることができました。
各家庭の宗教事情
インドネシアには、5つの宗教があり、必ずどれかに決めないといけないそうですね。
そうなんです。当時の主人が仏教を選んでいたので、わたしも仏教を選びました。
ですが、家族は宗教が異なりました!お兄さんがインドネシア人と結婚し、お嫁さんがイスラム教だったんです。
なので、お兄さんはイスラム教に改宗し、毎日決まった時間にお祈りをしていました。
さらに妹はキリスト教でした。
同じ家族でも、必ず一緒じゃないといけないという決まりはなかったんですね!驚きました。
日本ではあまり宗教の縛りはないように思いますが、異なる宗教によって家庭内でぶつかることはなかったですか?
お互いを尊重し困っていることは助け合うという信念があるので、何の問題もなかったです。
そこがインドネシアの良いところだと思います。
外国人雇用は永遠のテーマ!支援やサポートでアジアと繋がる
ボンさん親子inよさこい
現在は日本に帰国し、大阪に拠点を置いているそうですね!
インドネシア語や英語を活かす、お仕事に就いていたのだとか?
和歌山にある「KEGキャリアアカデミー」で、外国人材紹介や外国人支援を行っていました。
今後和歌山だけでなく日本には、アジアから技能実習生、特定技能外国人や留学生がたくさん訪れると思います。
彼らのサポートをするため、日々営業や事務、翻訳や申請書類作成などの業務についていました。
ボンさんはインドネシア担当だったんでしょうか?
やっぱり彼らをサポートする際、現地の言葉じゃないと伝わりづらい部分もあったので。
インドネシア語が話せる=意思疎通もスムーズなので、インドネシアを担当していましたよ。
インドネシア以外にも、日本と経済連携をとっているベトナムの支援やサポートも行っていました。
さらに今後はミャンマーやモンゴルなど、アジア全般に視野を広げていければいいねと前向きに進めていました。
わっと繋がりでお聞きした話なんですが、看護士や介護士など外国人を雇用する企業が和歌山にはあるそうですね!
そうなんです!
そこで働く外国人はEPA制度(「経済連携協定」のこと。その協定内において経済交流・連携強化の一環として、特例的に看護・介護人材の候補者を受け入れるもの。)で滞在しています。
またその外国人が一定の期間を終え、日本で働き口を探してもいました。そういった働き口を探している方々もサポートしていましたよ!
ですが、コロナの影響で大ダメージを受けたんですね……。
始まった翌年にコロナが流行し、日本と海外の行き来が難しくなりました。
多くの企業が人材不足なのに、経営を続けるのが難しいところもあるようです。また外国人を雇用してその方の管理を続けるのも難しいことから、外国人を雇用する人数が大幅に減少しダメージを受けました。
落ち着いた頃に、日本とアジアを繋ぐ支援やサポートができれば嬉しいです。
現在は退職されて、日本語講師を目指し養成講座に通われているそうですね。
自身の経験を活かせるということや、やっぱり海外移住がしたいので……。
どんな環境でも役に立てる日本語講師になりたいと思っています。
日本語講師になるには、かなりハードルが高いのだとか?
そうなんです!
本当に難しい内容ばかりで、驚きます。
ですが、今後も外国人のサポートや支援も視野に入れながら自身の人生の豊かさを両立していきたいと思います。
アジア圏を飛び回るボンさん親子inマレーシア/ピンクモスク
“外国人雇用は永遠のテーマ”と話してくださり、今後たくさんの技能実習生達が和歌山に訪れてくることを願っているボンさん。
さらに自身の経験を活かした生き方や考え方は、わたしにとっても刺激になる内容ばかりでした。
なかなかコロナが収束せず、様々な人や企業がダメージを受ける中、先を見据えて行動する一歩を踏み出していこうと思います。
投稿者プロフィール
- 和歌山県和歌山市出身のフリーランスライター。大のアジア旅好きで、特に好きな国はインド。将来の夢は、和歌山×アジアの2拠点で活動するグローバルライター!