初めまして、宮地梓です。
ご縁があり、わっとにてインドネシア移住コラムを書かせていただくことになりました。
バリ人と結婚して、主人の家に嫁に入り、2児の母です。
インドネシア・バリ島のウブドに移住して20年が経ち、わたしから見たインドネシアについてコラムを通じてお届けしていきます。
vol.1ではインドネシア移住を通して、感じた想いや経験についてです。
移住者が語るインドネシアとは?について、知っていただけると嬉しいです。
世界的リゾート地として有名なバリ島。インドネシアは世界第4位の人口(2億3,764万人)を持ち、赤道にまたがる1万3千以上の島からなる大きな国なんです。そのうちの1つがバリ島で、人口は436万人ほど。和歌山県の1.2倍と大きくて広い島です。
→バリ人との結婚でインドネシアのバリ島に移住したわたし。きっかけは30年ほど前に遡り、大学生時代に初めて旅行で訪れたバリ島が凄く楽しくて。
その後、何回も通うようになり主人となる人と出会い、5年ほどの交際ののち、彼の家に嫁ぐこととなりました。(詳しいインタビュー記事はこちら)
わたしが拠点を置くバリ島のウブド。旅行者として通っていた1990年台は、まだ全戸に水道や電気が行き渡っていないような、田舎の村でした。
道路も舗装されていないところも多く、もちろんテレビや電話がある家も非常に稀……。それでもたくさんの旅行者が訪れるので、小さなゲストハウスや安宿はたくさんありました。
村には、WARTEL=Warung telekomunikasiという、電話やファックスが使える貸し電話屋さんがあり、そこから日本に電話したり、ファックスを送ったりしていました。
インターネットなんてものはまだ無くて、バリ島では携帯電話はおろか、家庭電話も普及していない時代です。
毎日のように停電して、その度にろうそくやハロゲンランプをつけ、停電が終わった瞬間はみんなで歓声を上げ、道端に座って歌い何か飲みながらおしゃべりしたり。
時計なんて誰も見ないので、約束しても何時間も待ったり結局会えなかったり、見知らぬ現地のお爺さんと知り合いになって、お宅に招待してもらったり……なんてことも。
トラブルがあったら、恐縮するくらいみんなで助けてくれたり、断水や停電はしょっちゅうでしたが、それでも今まで生きてきた中で1番楽しく生活している実感に夢中になりました。
時間に追われなくても生活できる、毎日上から下まで完全にメイクアップしなくても、生きているそのままの姿で美しいと感じられる。否定されることが無い、何もなくても満ち足りた思いで生きていける!それらの感覚を得たことは、その後の私の人生において決定的でした。
日本で学校を出て就職して毎日忙しく働く生活は、充実しているようで自分の神経を削り取るような毎日だったということに、その時の私は気づいたのかもしれません。
多少の無理はしなくちゃいけないし、みんなそうやって生きているんだから……と思い込んでいました。
やっぱりそれは自分の自然な姿じゃない!という思いが、私をバリ島へと押し出したのかもしれません。
とはいえ、30年日本で生まれ育って暮らしてきた私の価値観では、本格的に結婚してバリ人の嫁として暮らしだした村の生活の中で、狭い村社会特有の窮屈さと、プラバシーの無さ、生活習慣の違いによるストレスなどで、精神的に辛いこともありました。
特に子育てに関しては、違いが大きすぎて産後の育児ストレスなども重なり、2人の子供を出産して小学生になるまでは、本当に大変でした。
私はインドネシアのバリ島だけしか知りませんが、インドネシアにはほかにも豊かな自然と文化圏、言語、人種、を擁する島が大小あり、地域によってバラエティーに富んだ豊かな文化と習慣を持っています。
国内旅行をしても、海外旅行に匹敵するくらいカルチャーショックを受けることもしばしば。
しかし、基本的には温かくて面倒見がよく、面白いことが好きで歌や踊りが好きな気質は共通だと思います。宗教の異なる人たちが共存しているという点でも、多様性を認めるお国柄であり、「違うこと」への理解と共感を持った人が多いと感じます。
そのようなインドネシアで暮らしていくためには、相手の「違うこと」をまず受け入れる、という事が大切です。
「みんなと違う自分」を受け入れてもらうためには、まず先に自分が相手の相違点を受け入れて共感することが必要だからです。
このように私は、今も毎日、人生を豊かに生きるための心の持ちようを、インドネシア・バリ島で学ばせてもらっているのです。
観光地として日本でも幅広く親しまれているインドネシアやバリ島。ですが、国際結婚、移住をしたわたしから見た景色はまた違ったものでした。こういった暮らしや想いをしているんだな……と知っていただければ嬉しいです。
投稿者プロフィール
- 大阪生まれ、和歌山育ち。バリ人と結婚後、バリ島に移住。主人の家に嫁に入り、現在2児の母です。バリ・ヒンドゥー教徒として、どっぷりバリ島ウブド村の生活に浸り、お供え物三昧の生活を送っています。自宅内の緑に囲まれた、4部屋のみの小さな宿「PRASANTI」を経営しています。