移住当時のインターネット事情や家電
私がインドネシア・バリ島に移住した2000年頃。当時の日本は今のようにインターネットやパソコンを日常生活で使っている方が少なく、そんな私も初めてのノートブックパソコンを購入し移住しました。
そして携帯電話に関しても持っている方は少なく、在住の外国人が今でいうガラケーを使っていました。同時に、各家庭に電話線が普及しだした頃でした。
ノートブックパソコンは、町中のワルテル(貸し電話屋さん)が進化したインターネットカフェで回線を繋ぐか、家の電話の普通回線に繋いで使っていました。
速度も遅かったですが、それ以前の通信手段のことを思うと「ついにバリ島のウブドで、自宅でインターネットに繋ぐことが出来るようになった」と、感慨深かったですね(笑)
水道と電気と電話は、自宅にようやくついたところでした。が、停電や断水は頻繁で、家電は冷蔵庫が一台と、テレビが一台だけ(それさえ置いていないお宅も多かったです)
結婚して一番最初に買ったものは、洗濯機でした。それまで長期でバリ島に滞在していた時は、手洗いで洗濯していましたが、さすがに結婚して家族が増えたので……。
当時は、珍しがって近所の女性達が見に来ました(笑)
とにかく停電や断水が多く…断水になれば裏の川で洗濯したり、沐浴をして凌いでいました。
毎日続くとツラいですが、私は阪神大震災で被災を経験しました。
何ヶ月も水道・ガス・電気が使えなかった経験をした身としては、時折断水するくらいは、何の問題もなかったのです。
現代のバリ島での暮らしの変化
そんな時から20年も経った今では、大がかりな海底送電ケーブルの工事が行われました。
電気の供給が安定し、テレビや電話、冷蔵庫や洗濯機など場所によってはクーラーなどの家電も設置され、WiFiを設置するお宅も増えてきました。
携帯電話は中学生以上は殆どが持っているのでは?と思います。若者は最新型の携帯電話や、最新のバイクに乗り換え、学生にノートブックパソコンは必需品。
よく停電していた頃からここに暮らす私は、電化製品が無くても生活に困ることは無かったですが、あるともう「無い」生活には戻れませんね……。
以前の電気代は使用料を検針に来た係の人に支払っていましたが、最近は銀行で引き落としにしたりモバイルバンキング支払い便利になりました。
そして普段の生活では、移動にはバイクを使っています。バリ島では山に向かう坂道が多いので、自転車では大変なので皆さん自転車代わりにバイクをよく使います。
たった数十メートルの距離でも歩かずにバイクに乗ってしまうので、運動不足にはなりますが……。
車も使いますが極端に狭い道が多く、私は運転しづらいのでどうしてもバイク生活になってしまいます。
運動不足解消のために、夕方の暑さのピークが過ぎる頃、田んぼの中をウォーキングしていたりもしますよ!
昔と今では異なる物価
ローカルなお菓子屋さんでは、出来立てを売っています。
インドネシアのバリ島に移住した2000年頃と、現在とでは物価は大きく変わっています。
食材やガソリンはまだ安いですが、それでもインドネシア人の平均所得から比べると、ずいぶん物価が上がって大変になってきたなぁという印象です。
ガソリンは1リットルあたり、7,650ルピア~9,850ルピア(日本円で約60.37円~77.73円)。お米が1キロ1万ルピア(約80円)、食用オイルが1リットル3万ルピア(約240円)。
インドネシアの2020年8月の平均賃金は「2,760,000ルピア(21,864円)」。
所得の格差は激しく、高額な収入を得ている人から失業している人まで、一概に物価がどうこうと言える状況ではありません。同じインドネシアでも、首都であるジャカルタと他の島では収入金額も違います。
個人的には、月収2万円ちょっとでみんなどうやって生活しているのか……とても不思議です。
バリでは女性の皆さんが掛け持ちで仕事をしたり、空いた時間で何かを作って売ったりとマメに細かく稼いでいるのが今のインドネシアの現実です。
とはいえ、やはり我々外国人は何事もこのようなローカルプライスでは生活できません。
こんな新鮮で立派なお造りも破格の値段で食べられます!
バリ島のような観光地では、ローカルプライスと外国人プライスは別になっていることが多く、元々が値切り文化の国ですので、値段交渉に自信のない方は現地価格で生活するのは難しいでしょう。
もう20年住んでいると、ふっかけられることも少なくなりましたが、今でも知らない場所での買い物での値段交渉はやはり疲れます。
バリ島には多くの邦人が暮らしており、外国人もたくさん居ます。
丸亀製麺や吉野家もあるので、以前のようにさほど日本食が恋しいと思わなくなりました!
パンデミック後のインドネシアの状況
バリ島で1番人気のあるビーチの前にあるモールからの景色。
私が住んでいるバリ州(バリ島はインドネシアの中の1州)では、観光業に就業している人口比が4割、経済は観光業で成り立っています。
昨年からのコロナ・パンデミックの影響で、バリ島の経済は壊滅的状況に陥っています。
もともと農業従事者が多かったので、パンデミックになってからは農業に戻った人も多いのだとか。
ですが、元々農業をやっていた主力の世代が高齢化で、若者があとを継がないといった問題もあり、長引くパンデミックの影響で、生活が困窮している家庭も多くなっています。
そんな中我々在住の邦人の間では、手作りの食べ物などを販売する、「マーケット」が盛んに開催されるようになりました。醤油や味噌、糀、豆腐、といった日本の味になくてはならないものを手作りして、週に一度マーケットを開催しているのです。
パンデミックに入ってから多くの在住邦人が参加するようになり、地元の人たちも巻き込んで、種類豊富で活気のあるマーケットがあちこちで開催されるようになったんです。
ですので、海外に住んでいながら日本に住んでいた時以上に、和食な生活を送っている、という人も少なくないようです。
丸亀製麺はローカルっこにも人気!日本にはないメニューも。
もともと、バリ島は世界的リゾート地ですので、世界中から観光客が訪れます。ですので、お金さえ出せば、本場の味さながらの、各国料理が味わえるレストランに行くことが出来る島なのです。
日本食レストランもたくさんありますが、今は観光客相手に商売が出来ない時代。それよりも自分たちが食べていかねばなりません。
その中で生まれてきたマーケットは、半ば物々交換的側面もありながら、活況を呈しています。
そしてバリ島では、自治体が各世帯にお米や砂糖、食用オイルなど生活に必要なものを配給したり、地元の若者やボランティア団体などが「ナシ・ブンクス」というお弁当を無償で配っています。
生活困窮者へ寄付を集めて持って行ったりという活動が、盛んに見られるようになりました。
経済的あるいは情勢的に苦しくても、「一人じゃない」という安心感、それが感じられるのがインドネシア・バリ島なのです。
昔と今では暮らし方や物価が随分と変わりましたが、インドネシアには相互扶助精神が根付いています。
ことあるごとに助け合い生きてきました。私がインドネシアに惹かれる理由は、そこにあるのかもしれません。
投稿者プロフィール
- 大阪生まれ、和歌山育ち。バリ人と結婚後、バリ島に移住。主人の家に嫁に入り、現在2児の母です。バリ・ヒンドゥー教徒として、どっぷりバリ島ウブド村の生活に浸り、お供え物三昧の生活を送っています。自宅内の緑に囲まれた、4部屋のみの小さな宿「PRASANTI」を経営しています。