井口 友見さんってこんな人
1977年生まれ、和歌山県みなべ町出身。
東海大学文学研究科 日本文学専攻日本語教育学コース卒業後、タイで日本語教師の道へ。
現在は日本を拠点に、株式会社 井口組副社長を勤めながら、大志農園にて梅作りや収穫、タイへ農産物の輸出、オンラインで日本語講師、書道教室の講師など多彩な分野に携わっている。
日本語講師、和歌山を含む特産物(果物)の輸出を行い、梅の収穫や販売(今のところ国内のみ)、書道の師範としても教室を開いている井口さん。タイと和歌山の架け橋となり、様々な活動をされているバックグランドについてお聞きしました。
タイ移住を決めたきっかけは、大学時代のボランティア
ーー初めまして!それでは自己紹介よろしくお願いします。
初めまして、井口友見です。
2002年〜2018年までタイに居ましたが、現在は実家のあるみなべ町におります。
株式会社 井口組の副社長を務めながら、日本産農産物(和歌山を含む全国各地の果物)をタイへ輸出・販売、梅の収穫や国内向けの販売、書道教室、オンラインでタイ人向けの日本語教室を行っています。
ーー凄い!色々なことに携わっておられるんですね。ひとつずつお話聞かせていただければと思います。まず、タイに移住したきっかけは?
大学時代に遡ります。
東海大学教養学部 国際学科3年生の時、ボランティアゼミナールに所属していたんです。
タイ・チェンマイにある農村で現地の大学生と一緒にホームステイをして、小学校の教室作りを経験しました。
ボランティアを通じて「アジアの貧しい人たちを助ける!」と思っていましたが、そういう想いに反して現地の方々の目が輝いていたんです。
そして「貧しさとは?」について、改めて考るきっかけとなりました。
さらにタイ人大学生は友好的で、日本のことや日本語を学ぶ姿勢にも衝撃を受けたんです。
大学を卒業したらタイで日本語を教えよう!と決意し、東海大学文学研究科 日本文学専攻日本語教育学コース卒業後、日本語講師の道へ進みました。
長年、日本語講師として活動していたタイ生活
ーーそしてタイへ移住されたんですね!現地では、どのようにお仕事されていたんですか?
大学院卒業後、2002年から2008年までタイにある大学や企業などで日本語教育に携わっていました。
「プリンス・オブ・ソンクラー大学パッタニーキャンパス」では大学生に、
「タマサート大学東アジア研究所」と「カセサート大学」では、一般の方を対象に。
その他「泰日経済技術振興協会」「国際交流基金バンコク日本文化センター」「株式会社JALWAYSバンコク試練センター」にも勤めさせていただきました。
ーー約6年間びっちりと日本語講師として活躍されていたんですね!現地の言葉も学ばれたんですか?
2004年〜2005年にかけて約10ヶ月間、タイ語学校とチュラロンコン大学で言語を勉強しました。
その後、仕事で現地の方と話す機会が多くなり、ここでのタイ語学習がかなり役に立ちました。
結婚を機に新たな分野にもチャレンジ!
ーーとても勉強熱心なのが伝わります!そして、日本語講師を長年勤めていた井口さんに転機が訪れたのだとか!?
はい、現地の方と結婚しました。
挙式もタイで行いましたよ!
ーーお写真とっても素敵です!結婚を機に、日本語講師とは違うお仕事も始められたそうですね。
そうなんです。
2009年から2011年の間は、バンコク市内にある「サービスアパート・イエローリボンヒルズ・エグゼクティブマンション」で、日本人ゲストリレーション、セールス、マーケティングを担当していました。
ーー新たな分野ですね!井口さんの向上心というか、前向きな姿勢はどれも今に繋がっていますよね。のちに師範免許を取得するほど学びを深めた書道も、この頃に始められたのだとか?
小学校の頃は習字教室に通っていたので得意分野でしたが、中学や高校では授業で習っていた程度でした。
ある時ふと「書道をもっと学びたい!」と思い、2010年から4年間バンコク市内で小林雅洗師匠のもと書道に励みました。
のちに師範免許を取得し、現在は書道教室を開きながら技術向上のため日々学びを深めています。
ーー井口さんの「よしやるぞ!」という精神力はどこから来るものなんでしょうか?常に新しいことにチャレンジしていて、止まることない原動力が素敵だなと……
タイは何でもチャレンジしやすく心地のいい環境だったんです。
現地の方はとても温かく、そしてゆるい。
時間の流れがゆっくりと過ぎていくし、すべてにおいてシンプルな生活ができていたことが、今に繋がる原動力だったのかもしれないですね。
ーー微笑みの国・タイと呼ばれていますもんね。井口さんのチャレンジ精神とタイの環境がマッチしたからこそでもあるんですね。
実はわたし自身、アメリカ留学を検討していたんですよ。
ですが、大学時代のボランティアをきっかけにアジアのほうに風向きが変わり、今に至ります。
自分の人生の役割というか、道をしっかりと進んできたからこそタイと繋がりを持つ人生に辿りついたんだと思います。
ーー本記事はここまで!タイ移住を決意したきっかけ、大学院卒業後に日本語講師の道へ進み、それ以降の井口さんのタイ生活のお話をお伺いしました。vol.2では、現在コロナの影響などで和歌山へ拠点を移し、取り組んでいらっしゃる活動についてさらにお話をお伺いします!
井口 友見さん
1977年生まれ、和歌山県みなべ町出身。
東海大学文学研究科 日本文学専攻日本語教育学コース卒業後、タイで日本語教師の道へ。
現在は日本を拠点に、株式会社 井口組副社長を勤めながら、大志農園にて梅作りや収穫、タイへ農産物の輸出、オンラインで日本語講師、書道教室の講師など多彩な分野に携わっている。
株式会社井口組 公式HP https://www.iguchiaac.co.jp
投稿者プロフィール
- 和歌山県和歌山市出身のフリーランスライター。大のアジア旅好きで、特に好きな国はインド。将来の夢は、和歌山×アジアの2拠点で活動するグローバルライター!