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JICA和歌山デスクって何ですか?推進員のお二人に聞いてみました! vol.3

JICA和歌山デスク

JICA和歌山デスク

和歌山市手平の県民交流センタービッグ愛8階にある和歌山県国際交流センター内。

青年海外協力隊や日系社会海外協力隊のOBをはじめとする海外での国際協力経験者から構成され、JICAが実施する事業に対する支援、広報及び啓発活動の推進、自治体の国際協力事業との連携促進等の業務を行うために、自治体が実施する国際協力事業の活動拠点を行う機関。

今回も引き続きJICA和歌山デスクについてです。最後になりますvol.3では推進員をされていた中嶋さん、そして新しく推進員になる原さんに、和歌山デスクに応募した経緯や感じた想いなどをお伺いしました!

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中嶋さんにお伺いしました

--それではよろしくお願いいたします!まずは中嶋さん。青年海外協力隊に、そして和歌山デスクに応募した経緯をお伺いしたいと思います!そもそも国際協力には興味があったのですか?

よろしくお願いします!国際協力について興味が出たのは、高校生の頃からです。先生から経済の南北格差や世界での貧富の差などについて話を伺い衝撃を受けたことを覚えています。受験生としても学ぶ目的や意味を見失っていたこともあり、南北格差などの課題について専門的に学べる国際関係学や国際協力という領域で学びたいという気持ちが強くなり、目標が定まりました。その後無事に希望する大学に進学し、国際協力を専攻します。

高校時代からずっと国際協力に興味があったのですね!その後就職などを経て、青年海外協力隊に参加をされたましたよね。どのような経緯だったのでしょうか?

大学に進学し、国際協力を専攻したものの、座学や本で国際協力の知識を学ぶだけでこれだけで本当に良いのだろうかと疑い始めたんですよね。そこで大学三年生の時にインターンでJICA大阪(現在は統合されJICA関西に)で働くことにしたんです。

そこでの業務はJICA関西に来ている、各国からの研修員たちのお世話をしていました。その時に初めて黒人の方や途上国の方と出会い、一緒に過ごし、話をする中で、文化の違いや、経済格差などを目の当たりにし、さらに衝撃を受けます。と同時にJICAのように、彼らを受け入れて情熱を持って働く組織があるのだと感銘を受け、JICAの素晴らしさを知りました。

そしてその次は自分も実際に途上国に行って現地を確かめたいと思うようになります。しかし、その時JICAでお世話になっていた方から、「あなたはまだ半人前で海外で教えれることなんて何もない。まず自分で社会に出て日本の社会を一通り学ぶ必要があるよ」と言われました。

それがきっかけでまずは社会を学ぶために、家を出て一人暮らしをし、物流関係の会社に就職。5年間働いた後に青年海外協力隊に応募し2年間ネパールに派遣することになります。

行動力が凄まじいですね!協力隊を経て和歌山デスクで働こうと思ったきっかけについても教えてください。

ネパールでは女性の自立支援をしていました。ネパールでは女性の仕事がとても多く、家畜の世話や家畜の餌のための草刈りや食事など、一日中仕事がありました。それは決して男性が手伝わないというわけではなく、産業がなく、地理的要因などで男性が都市に出稼ぎに行かなければならない。そのためには食べていくためには必要な膨大な家事労働を女性がしなければならなかったんです。私自身大学卒業後に入った仕事が物流業で、女性が少ない職場でジェンダー問題については感じていました。物流倉庫で男社会でしたし、新卒の女子社員なのでお茶を入れないといけないなど、今思うと私はずっとジェンダーについて戦ってきたなと思ったんです。

帰国後、結婚をし出産をきっかけに和歌山に来るのですが、長男を産んだ時に、長男である夫の嫁である私が長男を産んだことに周りの家族などがとても喜んだこと、また長男の嫁だからこそ和歌山に来たことなど、ここ日本(和歌山)でも同じくジェンダー問題があることに気づかされます。

その時にこれだけ先進国の日本でもネパールと何も変わらないことに驚愕を受けました

そこで自分がネパールで感じたことを和歌山で同じように感じたままで過ごしていいのだろうか、また大学生の時にインターンに行って感じた感銘、自分が社会人として、協力隊として感じたこと想いを伝えていかなかなければいけないのではないかと考えるようになり、JICA和歌山デスクで働くことで県民の方一人でも多くに伝えていきたいと思ったことがきっかけです。

JICA和歌山デスクで働いてみてよかったことは?

良かったことは、JICA関西初のママさん推進員(全国としてもとても少ない)として働けたことかと思います。時間的・行動的制約があったの中、母親の視点だったからこそSDGsが自分視点で思えたし、お母さん方とママさん視点で新しい推進員の形を見せることができたのではないかと思います。自分にも子どもがいたことで、同じ目線で接することができたことも大きいです。

逆に独身でバリバリ活動するエリートのような人だと、ママさんたちに寄ってきていただけなかったかもしれません。同じ視点に立てたことで、私自身も、子どもの未来のことも考え、現在だけではなく、SDGsのゴール目標である2030年、そしてその先の未来のために、本気で行動ができました。そういう意味ではバリバリの独身で活躍するこれまでの推進員とは違った変化球になれたのではないかなと思います。

逆に大変だったことはありますか?

反対にもちろん制約はあります。もっと情報を届けたかった大学生や働き盛りの若者向けの企画・広報は十分にできなかったなと思っています。とはいえ、それも含め多様な人受け入れるということにおいては、私には私がリーチできた層もあるし、逆に次の原さんには私がリーチできなかった方々に発信していってもらえたら嬉しいです!

中嶋さんが想うJICA和歌山デスクで働く人に求められることとは

ずばり和歌山を愛する人だと思います。そして世界志向、未来志向とポジティブな人でないとダメだと思います。やはり世界に対して未来に対して悲観的な人だと難しいでしょう。和歌山を良くしたい、和歌山と世界を繋げたいという気持ちがないと活動も積極的にできないと思うので必須の条件でしょうね。またやってみて自分がよりよく和歌山を良く知れたということもあります。魅力はもちろん地域の課題にも気づけました。

原さん

--お待たせしました。それでは原さんよろしくお願いします。

よろしくお願いします。私は海南市出身で、和歌山市内の高校を卒業後、大阪の大学、三重の大学院と進学をしました。大学では理系学部を専攻しながら、教育にも興味があり、教職授業を取り、教員免許を取得し、地元で和歌山で教師として働き始めました。

教師として働く一年目に、青年海外協力隊に参加をしてみたいと思い、まさにここJICA和歌山デスクに足を運び、相談させてもらいました。早速その年の秋ごろには応募をして、2019年2月に無事合格し、その後サモアに赴任しました。しかし2年間の活動予定でしたが、2020年3月に新型コロナウィルスの影響で活動を続けることが難しいため帰国を余儀なくされました。

帰国後は非常勤講師などをして働いた後に、2021年1月9日よりJICA和歌山デスクで働くこととになりました。

--ありがとうございました。どうして青年海外協力隊に参加しようと思ったのでしょうか?

私は中嶋さんのように学生時代から国際協力に意識をし、世界を実際に見たいとか、国際協力の現場に足を運びたいという想いはありませんでした。テレビで協力隊や国際協力の話を見聞きする程度でした。

一つきっかけとしては、大学院にバングラディッシュ人の国費留学生がいたことで、コミュニケーションの難しさや文化・宗教の違いに触れ、こんなに日本と違う国の人がいることを知りました。その時にバングラディッシュでの経済状況なども知る中で、自分としても何かできることはないのかな、と少し意識するようになります。でもいつか行ければなという程度でした。

その卒業後、教師として働いているく中で、友人の一人が日本大使館を受けるという話を聞き、私も「いつか海外で働いてみたいな」とポロっと言ったところ、「いつかやろうはやらないよ」とその友人に言われたことがずっと頭に残り、大きな一歩を踏み出すきっかけになりました。

--サモアに行かれたということですが、現地ではどのような活動をされていたのでしょうか?

教員として派遣されましたので、サモアの小学校で先生として働きました。実際に英語やサモア語を使って、子どもに算数や簡単な英語(アルファベットなど)、理科などを担当しました。上の写真はまさに理科の授業中の風景で、状態変化の実験です。砂糖を温めて冷やすことで、固体→液体→固体の状態変化を見ました。最後はみんなでべっこう飴を美味しくいただくのですが、子どもたち皆で取り合いでしたよ!笑

あと、言葉もうまく通じない中で子どもたちに授業をすることも大変でしたが、現地の先生と一緒に働くということのほうが大変でした。やはり私自身も当時教師1年目でしたし、年齢も一番若かったので、現地の先生のプライドなどもあり、信頼を得るのに苦労をしましたね。

また、日本ではなかなかあり得ないのですが、先生が平気で急に休んだり、遅刻をしたりということがあります。それらのマンパワーを補うような活動もしていました。

--協力隊から帰国後、教師の道に戻らず、和歌山デスクに入った理由は何ですか?

もっと色々な人にJICAの仕組みや自分が経験したことを知ってほしい、伝えたいという気持ちがとても強かったので、ちょうどJICA和歌山デスクで機会があったので働くことができるとなり挑戦させていただきました。

--この1月からJICA和歌山デスクに就任されたんですよね!今後どのような方面で和歌山デスクとして活動していきたいでしょうか?

学校で働いていたこともありますので、子どもたちにもっと若いうちから国際協力などに触れる機会を増やして、知ってもらいたいという気持ちが強いです。大学生や年齢層が近い若い方にリーチができればいいなと思います。

ゲストハウスricoなど和歌山でも若者が集う場所やコミュニティがあるので、そういう場に積極的に進めていきたいです。また地元である海南市でも展開していきたいですね!海南市には前職の時から繋がりのある学校の先生などもいますので、出前授業などもどんどん増やしていきたいです。

--全3回に渡ってお伝えしてきたJICA和歌山デスクについてをお届けしました。これまで3年間勤め、自分の立場を活かしさらに多様な方々にSDGs、国際協力を伝えた中嶋さん。そしてこれから新たに和歌山デスクとして和歌山に国際協力を発信する原さん。ぜひ何か興味があること、相談事がありましたらお気軽にJICA和歌山デスクまでお問い合わせしてくださいね♪また個人的にはお二人の協力隊時代について深堀り取材をさせていただきたいです!

JICA和歌山デスク
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青年海外協力隊や日系社会海外協力隊のOBをはじめとする海外での国際協力経験者から構成され、JICAが実施する事業に対する支援、広報及び啓発活動の推進、自治体の国際協力事業との連携促進等の業務を行うために、自治体が実施する国際協力事業の活動拠点を行う機関。

投稿者プロフィール

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山家 優一
和歌山ASEAN情報局 -わっと!- 編集長
和歌山県海南市出身。ミャンマー・ヤンゴンに駐在歴あり。
和歌山の人にもっとASEANを、ASEANの人にもっと和歌山を身近にするための情報サイトを作りたいと、この「わっと!」を立ち上げる。
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山家 優一
和歌山ASEAN情報局 -わっと!- 編集長 和歌山県海南市出身。ミャンマー・ヤンゴンに駐在歴あり。 和歌山の人にもっとASEANを、ASEANの人にもっと和歌山を身近にするための情報サイトを作りたいと、この「わっと!」を立ち上げる。