フィリピン

【JICA/青年海外協力隊】 ASEAN諸国で活躍する和歌山な人:フィリピン・平松佑理さんvol.2

平松佑理

平松さんってこんな人

JICA青年海外協力隊員として2015年3月からフィリピンで、工芸品のスリッパを作っている生産者コミュニティに所属し、販路拡大のサポートを通し、主に女性の生活向上、地域活性化に繋がるコミュニティ開発活動を行う。

現在は、協力隊の活動を経て、日本に戻り、地方の良いものをより広げるための広報・マーケティングの仕事に従事している。

■この記事はvol. 2 です。まだvol.1を読んでおられない方はぜひvol.1から順番にお読みください。

青年海外協力隊で赴任した現地・フィリピンでの私生活について聞きました

ーーグバットでのお仕事以外の生活はどうでしたか?

グバットはとてもローカルな街です。スーパーマーケットが一軒ありましたが、私は青空市場などで野菜などの食材を買っていました!もちろん言葉も通じないので、タガログ語の勉強のためという気持ちもありましたし、現地の方と現地語で交流ができること自体がとても楽しかったです。
また、グバットは海や山がとても多く、私の地元・海南に少し雰囲気が似ていて、とても落ち着きました。

月〜金曜日は仕事で、土日の休日には現地ローカルスタッフの同僚の家でゴロゴロしたり、その同僚のお友達の家に連れて行ってもらって誕生日会に参加したり、バイクで山に探検に行ったり。休日も色々と楽しく過ごすことができました。

ーー1人暮らしでしたか?

ホームステイを希望していたのですが、たまたま現地の校長先生が住む家が空いていたので、最初は1人暮らしから始まりました。途中から校長先生の家族が帰ってきたこともあり、そのご家族と一緒に住む、念願のホームステイ生活がスタートしました。

ただ、恐らく文化の違いだと思うのですが、人の物を簡単に勝手に共有しちゃう癖があるようで、私のモノを勝手に持っていったり、使われてしまったり…(汗)。
共有スペースに自分のものを置いていると、まず間違いなく使われてしまいますね。
もちろん悪気はないのかと思いますが、最初は驚きました。

でもホームステイ生活で安心したこともありました!日本の報道でもたまに報じられますが、フィリピンは台風の多い国で、被害状況によってはとても長い時間停電になることもありました。見知らぬ土地で、大きな台風が発生し、停電して、電気も水も使えない(水は電気をつかって汲み上げるため)中、1人暮らしだったらとても心細かったと思います。そういった点を考慮すると、異国の地で暮らすときにホームステイを選ぶというのはとても良いと思います。

ーーフィリピン人の日本に対する考え方は?

バイク文化なのでやはり、ヤマハやホンダなど日本を代表する会社などはとても人気です。また当時はPPAP(※編集部注:ピコ太郎さんの曲)などが流行っていましたね!
植民地だったことに対する意識は思った以上にないです。年配の方は一部そう感じていらっしゃる方もいるようですが。

ーー現地での会話はどうされましたか?

英語と現地語を混ぜた会話で行います!もちろん当初は話すことができませんでしたが、現地に入るとなんとかなります!(笑)
生産者のお母さんや同僚との会話で少しずつ習得していきました。

ーー危険な目に合ったことはありましたか?

グバットは田舎で比較的安全ですし、特になかったのですが、一度マニラの深夜便に友人を送っていったときに、帰りのタクシー運転手ぼったくられたことがありました。
タクシーは料金が加算されるメーターを回すのが普通ですが、そのタクシー運転手はメーターを回してくれず、走り出してしまったんです。何度か説得すると、相手が逆上してしまい…。どんどん話す内容がエスカレートしてくるし、言ってる内容も少しおかしいと思う内容になってきて…。最後にこのままだと持っているお金を全部盗られるなぁと覚悟し、話をしながらそーっと財布からお金を半分ほど抜き(笑)、カバンに入れました。最後にやはり「財布を出せ!」と恐喝され、場所も全然知らないところだったため、目的地まで行ってくれれば財布を差し出すという条件で、無事に目的地に到着。財布を渡し、お金は半分になってしまいましたが、なんとか無事に帰ることができました(汗)。

平松さんが2年間の青年海外協力隊で学んだこと

ーー2年間を終えて、仕事を通じての学んだことは?

先ほどの話と重複しますが、当初は大きな仕事を取ることや展示会に出ることで、より彼女たちの収入を上げようと思ったのですが(※編集部注:vol.1参照)、彼女たちにとってはほんの少し収入が上がることで十分だったのだなと思いました。もちろんその先に徐々に上がっていくことは望ましいのですが、いきなり大きな変化をさせることは難しいですし、彼女たち自身も望んでいませんでした。そういった自分の仕事のやり方について、考えを改められたのは学びでした。

あと、やはり2年間現地に住むというのは、旅行ではなかなか経験できないことです。じっくりその土地に居ることができて、旅行とは違う時間の過ごし方ができたのはすごくよかったですね。

JICA青年海外協力隊のメンバーと知り合えたことも大きな収穫でした。これまで保険業界の金融に携わるメンバーしか知らなかったのが、協力隊を通じて様々な専門性を持っている人と出会えました。年齢も学生から60代まで、これまでに出会ったことがない、新たな仲間が世界中にできました。感謝しています。

昔は出世をするために仕事をしていた。例をあげればお客様のことを第一優先ではなく、数字をあげるための提案などをしていました。それが人のため、家族・友人のために生活するという価値観がとても強くなりました。

ーー最後に後輩である和歌山の若者や、これから海外で働いてみたいと思っている方に一言お願いします!

世界中の色々な場所を見てほしいと思います!私もフィリピンに住んでみて、日本の当たり前が、外の世界では当たり前じゃないことに気付かされ、モノの見方が大きく変わりました。

正直、私、日本のトイレで寝れます!それほど日本のトイレは綺麗です!また道路のインフラや生活、何もかも快適なのが日本です。

でも逆に日本は勤勉過ぎて少し求めるものが高すぎる気もします。人間はロボットではないので、そこまで本当に必要なの?という価値観も思い知らされました。日本の素晴らしさを知るためにも、新しい世界を知るためにも機会があればどんどん世界へ挑戦してほしいです!

平松さんからのおまけ話:おすすめ和歌山のASEAN料理屋さん!

my kusina(マイクシーナ=訳・私のキッチン)
本場の味をそのまま楽しめるお店、目玉は、boodle fight(ブードルファイト)。バナナの葉っぱの上にご飯を並べて、素手で食べるのが現地スタイル!それが和歌山でできるなんて!!

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japfino
和歌山駅から徒歩3分。みその商店街の中にあるフィリピン料理屋さん。
目玉は、お店の中央部にあるカラオケステージ。
カラオケ大好きのフィリピン人ならでは、エンターテインメントのお店!飲んで、食べて、歌って、わいわいガヤガヤ楽しいお店です。(カラオケ料金なしだったと思う)

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平松佑理(1987年4月20日生まれ)
大学卒業後、損害保険会社勤務を経て、JICA青年海外協力隊に応募しフィリピンソルゴソン州グバット町へ。2015年~2017年の二年間、女性グループの生活向上を目的としたコミュニティ開発に取り組む。現在はスターフードジャパン株式会社にて、日本の地域産品の商品開発や販路開拓などに従事。

和歌山県生まれ

ABOUT ME
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山家 優一
和歌山ASEAN情報局 -わっと!- 編集長