ミャンマー

和歌山で活躍するASEANな人:ミャンマー・キンキントゥエさんvol.1

Khin Khin Htwe

キンキンさんってこんな人

中央大学卒業後、和歌山県海南市の株式会社タカショーへ入社。商品部にて仕入れ等を担当後、アジア経営者連合会(東京)に出向。

現在は、ミャンマーに戻り、ヤンゴンにてKhin Khin Travel (キンキントラベル)を設立し、代表取締役として出張、観光対応やその他事業に携わる。

ミャンマー出身!キンキンさんと和歌山との出会い

ーー今回はよろしくお願いします!まずミャンマーの方にお会いしたことがない人も多くいらっしゃると思いますので、簡単な自己紹介をお願いします。

よろしくお願いします!
私はKhin Khin Htwe キンキントゥエと申します。キンは「親しい」、トゥエは「末っ子」という意味があります。ちなみにミャンマーには「姓」というものが存在しませんので…キンキントゥエ全てが「名前」です!みんなからは呼びやすさもあり、「キンキン」や「キンキンちゃん」と呼ばれています。

ミャンマー最大の商業都市であるヤンゴン出身で、ヤンゴン外国語大学日本語学科を卒業後、岩国育英財団の奨学金制度を利用し、日本へ留学。語学学校を経て、中央大学にて商業貿易学部に進学しました。

ーー私もミャンマーには姓がないと聞いて最初驚きました!日本とはずいぶん違いますね。それではキンキンさん改めてよろしくお願いします。いつも元気ですね!それでは早速ですが、キンキンさんと日本、そして和歌山との出会ったきっかけは何ですか?

大学4年生の頃にひょんなことをきっかけに和歌山県海南市に本社がある株式会社タカショー(以下タカショー)の高岡社長と、知人の紹介で出会ったことがきっかけです。場所は東京でした。
学生時代のアルバイト先である「すかいらーく」で働いているとき、常連さんだったIT系社長と就職の話をしているうちに、興味のあった貿易などの仕事をするのであればということで高岡社長をご紹介いただきました。その後、社長直々の面接を受け、入社をする運びとなりました。

でも2011年4月入社予定で採用されたのですが、ちょうど研修などが始まった3月に東日本大震災があり、世界規模で日本にいては危ないという風潮になりました。ミャンマーでも大きなニュースとして取り上げられていて、親からも帰ってきなさいと心配もされたので、一旦3月にミャンマーに戻りました。

社長からも「もう戻ってこないのでは」と心配されましたが、和歌山が福島から遠かったことや、せっかくの内定をいただいていたこともあり、少し遅れましたがタカショーでのキャリアをスタートさせました。

日本(和歌山)での仕事について

ーータカショーの社長さんとの運命的な出会いが和歌山に来るきっかけだったのですね。実際にタカショーでのお仕事はいかがでしたか?

タカショーではまず、物流倉庫で働きました。商品部仕入れ課として入社したのですが、当時会社がとても忙しいこともあり、まずは物流倉庫で3カ月間物流をお手伝いしながら学びました。
その後本社に戻り、本当に色々な経験をしました。多くのことを学ばせていただきました。

タカショーは海外からの仕入れ商品なども多いため、当時は中国・ベトナム・インドネシア・イギリス・イタリア・フランスなどの企業から仕入れるための発注業務や、出荷コントロール、また各工場の生産ラインの調整や開発部の依頼から商品を取り寄せたり、また品質管理から上がってくる商品の改善をしたり。そして各仕入先へのお支払いや、その他フォワーダー(※編集部注:運送事業者)とのやり取りをして、通関業務をするなど貿易業務全般を行いました。

今思うと本当に大変でしたが、この時に社会人の基礎を鍛えてもらったなと思えていますので、今思うと感謝です。当時は辞めたいとも少し考えましたが…(笑)。ここまで厳しい環境で仕事を入社数年でさせていただけることも、そんなにないと思いますので本当に成長させていただいたと考えています。

ーー業務は大変だったと思いますが、仕事をする上で大切にしていたことはありますか?

先ほどのように仕入れから生産ラインや品質管理など、様々な部署間でお仕事をさせてもらいましたので、仕事として人間関係を一番大切にしていました。

仕入れ業者様などの外部だけでなく、社内の関係も含めてです。出張などで遠方の方に会うときは自腹を切ってでもお土産を持って行ったり、逆に中国やベトナムなどの関連会社の人間が本社に年に一度来る機会があったときは、車を出して和歌山観光を一緒に行ったりしました。

また社内でも挨拶など基本的なことをしっかりとお返事をしたり、仕事だけでなく土日のプライベートなお話をしたりなど、周りを巻き込むことに力を入れていました。それらを徹底することで、仕事が円滑にまわることもありましたし、タカショーを退社してからもずっと心掛けていることです。

タカショーで3年ほど働いている中で、高岡社長が理事を務めるアジア経営者連合会に出向することになります。

ーーなるほど。キンキンさんは初めてお会いした時から人に入り込むのが上手だなと思いましたが、理由がよくわかりました。さて、その後タカショーからアジア経営者連合会に出向したんですよね?そこでのお仕事について教えて下さい。

アジア経営者連合会では、タカショーとは全く異なる仕事をしていました。当初はアジアビジネスサミット(2015年)という1500~2000人規模の大きなイベントをアジア経営者連合会の主催で行っていたので、そちらの運営の補助をしていました。またその他のイベント企画、集客、営業などなど。会員様が当時600人ほどの経営者ばかりでしたし、経営者の会員を増やす仕事や例会の運営などタカショーとは異なる仕事でとても勉強になりました。

2011年からミャンマーの大統領がテインセイン大統領に代わり、民主化の動きが活発し、先に日本で活躍していた後輩などを見ていても、日本での人脈や活躍が非常に大事だと感じていました。人脈を増やしたいと考えていた私にとって、この時間によって本当にたくさんの人脈を作ることができ、とても感謝しています。

ーー貴重なお話しをありがとうございます。日本で様々な経験をされてきたキンキンさん。本当に成長されて「いざ帰国」されたのですね。

はい。この人脈と経験が、今のキンキントラベルの仕事につながっている部分もあります。

■ミャンマーに帰ってから立ち上げた会社のお話などvol.2 に続きます!→vol.2に続く

Khin Khin Htwe キンキントゥエ
ヤンゴン外国語大学日本語専攻を卒業後、中央大学に留学・卒業。その後知人の紹介から高岡社長と出会い、タカショー株式会社(本社:和歌山県海南市)へ入社。在籍中にアジア経営者連合会(東京)に出向。2017年に故郷ミャンマーヤンゴンに戻り、Khin Khin Travel (キンキントラベル)設立。現在は4年目で旅行手配だけでなく、通訳やビザ代行、人材紹介など多岐にわたるビジネスを展開中。

Khin Khin Travel (キンキントラベル)

ミャンマーヤンゴン出身

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山家 優一
和歌山ASEAN情報局 -わっと!- 編集長