フィリピン

【JICA/青年海外協力隊】 ASEAN諸国で活躍する和歌山な人:フィリピン・平松佑理さんvol.1

平松佑理

平松さんってこんな人

JICA青年海外協力隊員として2015年3月からフィリピンで、工芸品のスリッパを作っている生産者コミュニティに所属し、販路拡大のサポートを通し、主に女性の生活向上、地域活性化に繋がるコミュニティ開発活動を行う。

現在は、協力隊の活動を経て、日本に戻り、地方の良いものをより広げるための広報・マーケティングの仕事に従事している。

平松さんとASEANの出会い

ーーそれでは本日はよろしくお願いします!早速ですが、平松さんとASEAN諸国との関わりを教えてください。

よろしくお願いします!

私はJICA青年海外協力隊員として、2015年-2017年の2年間、フィリピン・ソルゴソン州のグバットという街に赴任しました。

ーーソルゴソン州のグバット!?聞いたことないのですが、、フィリピンのどのあたりですか?

フィリピンは1000以上の島群からなる島国ですが、グバットは首都マニラがあるメインの島、ルソン島の最南にあたります。マニラから飛行機で国内線でルソン島最南の街、レガスピ空港まで約1時間、そこからプロジェクトサイトであるグバットまではバスなどで3時間ほどかかります。

ーー首都マニラからでもとても離れていますね、、そしてグバットに到着!率直に思った感想は?

いよいよ2年間ここで住むのか、、という不安はとくにありませんでした!出国前に日本国内でJICA協力隊員のメンバーと意気込みを高めあっていたあとなので、もうワクワクしかありませんでした!

ーーそもそもなぜフィリピンだったのですか?

青年海外協力隊員として応募する際、前職の保険業を活かす専門的な知識がありませんでした。そんな中で数ある応募の中から女性の生活向上の支援を目的とした地域活性プロジェクトに目が止まりました。フィリピンに行きたいというより、従事する内容で選んだらフィリピンだったということです。

ーーどうして海外青年協力隊に参加しようと思ったのですか?

保険会社にサラリーマンとして働いているときに、直接人に役に立てる仕事に就きたいと思い決意しました。当時は出世したいとの意欲で仕事をしていたこともあり、お客様のためというよりも会社のために動く生活でした。誰かの顔を思い浮かべて「がんばろう」と思うような働き方ではなかったんですよね。青年海外協力隊を選んだのは、電車でよく見る中吊り広告を見たときに「これだ!!」と思ったからです。
もう一つ、東日本震災にも会社としては応援に行ったのですが、自分は直接現地には行けず、会社に御礼を伝えるビデオレターだけが届き…。何もしていないのに感謝をされることに違和感を覚えていたことも青年海外協力隊を選んだ理由の一つかもしれません。

新しい世界に足を運び入れた平松さん。具体的に現地でのお仕事について伺いました!

ーー具体的にはどのようなお仕事をされ、地域活動を行っていましたのですか?

グバットには婦人会という女性グループがあり、彼女たちの収入をあげるということが目的です。グバットは農村であるため、男性が従事する農業を手伝いながら、婦人会ではハンドメイド製品などを作って副収入をあげていました。

赴任当時は、まずはそれぞれの婦人会のグループに足を運び、どのようなことをしているかを調査しました。そしてどこのグループを支援することが最も効果が出るかを検証し、とあるグループをピックアップさせていただきました。そこは現地で自生する植物を利用したスリッパをハンドメイド製品として製造している団体でした。

ものづくりをすることで手いっぱいとなっていたので、他の団体や活動を参考に、どのようなことをすればよりよく販売ができるか、またマニラで開かれているハンディクラフトの展示会に出展してより多くのバイヤーの目に触れ、手に取っていただけるように品質を向上し、たくさんの方々に製品を届けられるように尽力しようと考えました。

ーー大変そうな仕事ですね、、ではゴールは品質向上をし、展示会に出展するぞ!と決めたわけですね。

そうなんですが、、その展示会に出るまでに、実際に足を運んでバイヤーさんに直接売るなどの営業などもして、少しではありますが売上などの向上には繋ぐことができました。しかし、生産者の支援をし、販売を行う中で、これらのビジネスの商流に大きな問題があることに気付きました。それはこちらのビジネスは、バイヤー側の立場が強すぎるため、生産者側の価格設定はバイヤーから提示される言い値以外受け付けてくれないという現状でした。生産者側も買ってもらえる金額で売らないと生活の足しにもならないので、ギリギリでもなんとか売りたいという想いがありました。

外から見て、彼女たちを大きな団体やバイヤーと繋げたり、マニラで開催される展示会に出展を後押ししたりすることはとても有意義なことだと思っていたのですが、それらは現状の彼女たちにとって本当に良いことではないのかもしれないと考え直しました。

ーー確かに、、、では具体的にはどのように進めていったのですか?

あくまで私が赴任している2年間というのは、援助もあり、一時的なスパイスのようなものです。仮にバイヤーと繋がって少し大きな仕事をしても、また元に戻ってしまっては意味がありません。持続可能な体制を整える必要があると感じました。そこで、生産者のお母さん方だけではなく、自分の想いを共感してくれ、またグループを引っ張ってくれそうな女性リーダーの育成に舵を切りました。

この女性リーダーは私が行きつけにしていたカフェのオーナー様なのですが、とても私の気持ちに共感してくれました。
これまでは婦人会のグループはそれぞれ活動していましたが、共感するリーダーを中心に理念を掲げ、セミナーなどを開催。それらの想いに共感した方々にのみ参加してもらうような形を取りました。
そこではバイヤーに対して正式な価格で売ること、生産者の意識を上げることなど、これまで言い値でとりあえず納めるために作っていた体制とは異なり、グループを立ち上げることで、ブランディングをしていける体制まで作ることができました。

また婦人会のグループ同士の枠を超える試みも今回初めて生まれ、前述しているスリッパのようなハンディクラフトを得意とする方ばかりではなく、お菓子を得意とする方もいらっしゃいました。季節柄植物が取れない時期にはお菓子を作ったり、お菓子が売れない時期にはスリッパを作るなど、組織としても強い体制になったと感じています。

これまでも支援したお金で設置された大きな機械が壊れてしまいその後使われていなかったり、お金があることでその予算ありきで甘えて事業をしたりということも見てきたので、今回現地に根付くコミュニティと人々だけで新しい体制を再編し、【生産者のための新しいグループ】を作ることができたことは持続可能性につながる取り組みになったと思います。

■持続可能性は本当に大事な視点ですね。まだまだ続くフィリピンでの生活!vol. 2 ではお仕事以外のお話もお伺いしたいと思います!→vol.2 へ続く

平松佑理(1987年4月20日生まれ)
大学卒業後、損害保険会社勤務を経て、JICA青年海外協力隊に応募しフィリピンソルゴソン州グバット町へ。2015年~2017年の二年間、女性グループの生活向上を目的としたコミュニティ開発に取り組む。現在はスターフードジャパン株式会社にて、日本の地域産品の商品開発や販路開拓などに従事。

和歌山県生まれ

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山家 優一
和歌山ASEAN情報局 -わっと!- 編集長